偉人に学ぶ─ダメ人間の美学
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サルバドーレ・ダリ(1904〜1989)
┗スペイン生まれの20世紀を代表する芸術家。画家。
 幻覚的な表現を得意とした奇才であり、[シュールレアリスム
 /超現実主義]の第一人者。柔らかく溶ける時計のモチーフを
 用いた「記憶の固執」等が有名。

ダリ。
その名前を聞いてピンと来ない方も『木にひっかかってるグンニャリした
時計の絵を描いた人』と言えばなんとなく想像していただけるでしょうか。
作品よりも先に『冗談みたいなクルンとした口髭でニンマリ笑う画家』の
姿を思い浮かべる方もいるかもしれません。

自他共に認める天才画家。絵画や彫刻等の美術作品制作はもちろん、
ヒッチコック映画の制作に関わったり、香水を作ったりとその天才ぶりは
多岐に渡ります。ちょっと驚きなのはチュッパチャプスのロゴデザイン。
これもこの巨匠のお仕事でした。それにしてもアメリカのお菓子かとばかり
思っていたら、原産国はスペインなんですねぇ。それも驚きです。

「人はいかにして天才になるか」を、人生最大のテーマにしていた巨匠ですが、
伴侶“ガラ”の存在なくして、天才は天才で有り得ませんでした。
聖母のように敬い、芸術の女神ミューズとあがめ、巨匠が生涯ただ一人愛した
女性ガラ。けれど二人は性的パートナーではありません。

不能に怯え ホモセクシュアルとの噂もあった巨匠と、若い男を誘惑しては
次々に関係を結ぶ、淫靡な女神ガラ。道徳的とは言えませんが、カップルに
支障はなかった模様。二人の愛は道徳・不道徳などという通俗概念など、
とっくに超越していたのでしょう。

「ダリはガラ。ガラはダリ」二人は一つだと常に主張していた巨匠は
ガラをモデルに描いた作品はもちろん、どれも二人の作品であると言い張り
全ての作品に『ガラ・サルバドール・ダリ』の連名でサインをしました。

しかし、1982年。
十歳年上だったガラは巨匠を残して この世を去ります。
突如、あまりの悲しみに襲われた巨匠は半狂乱となって家に引きこもり、
翌年に発表した一作を最後に筆を折ってしまいます。
女神の死より七年。生前の言葉どおり「ガラなしではダリでいられなかった」
巨匠は ひっそりと孤独な毎日をやり過ごした後、女神のもとへ。
84歳のことでした。

2002.10.02 「まぐまぐ」より1,158部発行


髭┃、┃そ┃し┃て┃ま┃た┃髭┃
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Dali's Mustache(洋書)
ダリと言えばヒゲ。ヒゲと言えばダリ。
ダリが自分のヒゲばっかし撮った写真集だそうな。



■今日の余談─ニューヨーク近代美術館のダリ
└初の海外旅行はニューヨークだった。
 緊張の中、ホテルで目覚めれば一人。旅の友はどこかへ消えていた。
 だいたいにおいて私の周りは皆、自主行動・自分勝手行動なのだ。 

 英語力ゼロの私は困り果てつつも 美術館に向かうことにした。
 美術館なら会話をせずに済むだろうと思ったのだが、甘かった。
 まず入場券を購入するのに一苦労。入場者の列が何本も出来ていて、
 どこに並べばよいのか分からない。仕方がないので素通りを試みる。
 もちろん失敗。たちまち腕をつかまれ、本来並ぶべき場所へ連行される。
 小心者の私はそれだけでもう息も絶え絶えである。

 それでも館内マップにダリの名前を見つけた私。
 「これは観なくては!ダリを見ずして国には帰れん!」と意を決する。
 決したはいいが右往左往。いくら探しても見当たらない。

 「絵はでかいに限る!有名絵画は大きいに違いない。」と勝手な思い込みを
 持っていた私。だが、人だかりの影にようやく見つけたダリの作品は、
 誰か一人が前に立てば隠れてしまうほど こじんまりとしていた。
 なるほど、私は気づかないまま何度も通り過ぎていたのである。
        (「記憶の固執」正確な寸法は26.3×36.5cm )

 その小ささに多少なりとも落胆しつつ、人が引くのを待って作品をのぞき込む。
 やっぱりちっちゃい。だが見れば見るほど目が離せなくなるのはなぜか。
 そうか。小さいからか!都合の良い私の認識はこの時からまた変更される。
 「絵はでかいか小さいかどちらかに限る!」・・・うん。  

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