偉人に学ぶ─ダメ人間の美学
前の巨匠へ    次の巨匠へ
ジャニス・ジョプリン(1943〜1970)
┗アメリカ・テキサス州生まれ。ブルースロックの女王。
 四年間の音楽活動で四枚のアルバムを発表し、
 後年のミュージシャンに 多大な影響を与えた。
 「MOVE OVER」「SUMMER TIME」「Me and Bobby McGee」等が有名。

もともと孤独な少女でした。
生まれ故郷は保守的な町。自由に生きようとすれば笑われ、自分の意見を
言えばいじめられます。そのルックスも災いし「ブタ面」とあだ名されたり
「キャンパスで最も醜い人物」に選ばれたり・・・。
そんな故郷につばを吐き、17歳でサンフランシスコに渡った巨匠は、
屈辱を跳ね返すように本格的な音楽活動を開始します。

1967年。モントレーポップフェスティバル。
まだまだ無名であった巨匠が5万人の聴衆を震え立たせました。
地を蹴りながら一心不乱に唄うその姿に、観客は新しい嵐を感じます。
これを機にトップアーティストとしての道を全力疾走で駆け上がる巨匠。
けれども、有名になればなるほど それに比例するように増す孤独感。

淋しさを埋めるため欠かせなくなったドラッグとアルコール。そして行き当たり
ばったりのセックス。気に入った相手なら、男であれ女であれ関係を持ちました。
「どうせ30歳までしか生きないんだから」と、暴走するその姿をも崇拝され
ましたが、孤高の女王は更に淋しさを募らせ疲れ果てるという悪循環。

しかし、友人の勧めでドラッグとアルコールを断ったとき、転機が訪れます。
それは「身を投げ出してもいい」と思えるほど信頼できるバンドとの出会い。
時期を同じくして婚約者も現れ、長年苦しめられていた孤独感とついに決別します。

1970年。27歳。
これから幸せの何たるかを知ろうというその時、巨匠の遺体がホテルの一室で発見
されます。その手には4ドル50セントが握られていました。
死因はヘロインの過剰摂取。自殺なのか事故死なのか。巨匠の死の二週間ほど前、
やはり薬物の過剰摂取で死んだジミ・ヘンドリックスとの関連性があるのかないのか。
なぜ決別していたドラッグに再び手を出したのか。これらの謎は永久に謎のまま。

孤独感とともに歩んできた歌姫は、突然押し寄せてきた幸せの波に耐えられず
死を選んでしまったのかもしれません。

「あたしはたったひとつの事しか出来ない。ただ、それだけなんだよ。」

2002.10.09 「まぐまぐ」より 1,154部発行


唄┃う┃ジ┃ャ┃ニ┃ス┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
── amazon.co.jp
ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間(ビデオ)
1969年のウッドストックの模様。
17アーティスト、30曲、244分で1,554円!こりゃ買いでしょう。 あ、もちろんジャニスも映ってます。



■今日の余談─私の周りのダメ人間たち
└日本の歌謡界をこよなく愛する男、友人A。
 彼にかかれば、私好みの音楽は全て「意味の分からない音楽」という一つの
 ジャンルにまとめられてしまう。
 
 だがそんなAが一度だけ私のCDに興味を見せたことがある。それが
 ジャニス・ジョプリンだった。当時CMで「ムーブ オーヴァー」が流れていた。
 それまで、日本語でなければ歌じゃない。と言い切っていたAだったが
 ジャニスのしゃがれた歌声がAの何かに響いたらしい。

 CDを持っていると私が告げるやいなや、今すぐ貸せ。すぐさま貸せ。
 と、胸ぐらつかむ勢いで私に詰め寄るA。
 恐れをなした私は直ちにCDのみならず、ドキュメンタリー映画も持参した。
 画面の中の唄い狂うジャニスに意外なほど戸惑うA。「え・・。女?」

 そして数日後。皆でA宅を訪ねる道中。私はふと不安にかられ玄関にかけよる。
 扉を開けるとそこには、近所迷惑もかえりみず、ジャニスばりに髪を振り乱し
 「ヤ、ヤンヤヤ、マママ、ムゥ!ムゥ!」と‘や行’と‘ま行’を駆使して
 ムーブオーヴァーを唄い狂うAの姿があった。


前の巨匠へ  次の巨匠へ

偉人に学ぶ─ダメ人間の美学
いくーこ.com
Copyright(C)2002〜
iku~ko,
All rights reserved.