全ては貧乏のため・・・。
西南戦争により五歳で父を失った巨匠とその一家は、亡き父の年金のみの
生活を強いられ、貧乏生活に突入。当然ながら次男である巨匠を学校にやる
余裕なんぞありません。少しでも家計の足しにと、巨匠10歳にして
書店の丁稚奉公に出されてしまいます。
見も知らぬ土地、東京に一人。
そこで幼き巨匠が何をしたかと言えば、店の金をちょろまかして買い物・・・。
すぐに店主に見つかります。しかし気のやさしい店主はむやみに叱るような
ことはしませんでした。それどころか幼い巨匠の身を案じ、寂しいだろうから
少しゆっくりしてきなさい。と休暇まで与えてくれたのです。
叔父の家で数日過ごした巨匠は書店に戻り、改心して働くのかと思いきや・・
またもや店の金をちょろまかしたため、クビ。今度は実家に帰されてしまいます。
しかし、帰されたおかげで学校に復帰することができました。
勉強の方はサボることなく頑張ったので成績も優秀。漢学も学び、詩作を発表
し始めます。それはそれは情緒あふれる美しい作品ばかり・・。
この頃の作品だけ見れば、まさかこの数十年後、自らの経験を題材に
「蒲団」という作品・・“妻子いる身でありながら、突然現われた若い娘に
恋焦がれたあげく、どうにもならなくなって、娘の蒲団の匂いを嗅ぎながら
オイオイ泣くオヤジ”・・という内容の作品を発表するとは想像もつきません。
正真正銘の私小説だったのでしょう。作品発表後に女弟子に充てて謝罪の
手紙を書いたりしてるんですが、何故そこまで赤裸々に語ろうとしたのか・・。
もちろん文学的見解もあったでしょう。新しい試みへの意欲もあったでしょう。
しかし・・!そんなことより何より、巨匠は常に貧乏だったのです。
詩では食っていけん!文学を金にするためには小説じゃないといかん!
食うためならば身を切リ売りしてでも成功するべし!ということなのかも
しれません。
「蒲団」での成功後もワタクシ事を綴りつづけた巨匠。自分の経験はもちろん
妻や母を題材に、時には他人の日記まで引っ張り出して“私小説”という
新しい文学のジャンルを、国木田独歩や島崎藤村らとともに築き上げました。
そんな巨匠が喉頭癌で迎えた最期は60歳。
「誰も知らないところに行くのだから、なかなか単純な気持ちではないよ。」
と、最期の心境を淡々と語ったそうです。しかしこの心境ばっかりは私小説に
することもできず、その複雑な思いは胸に秘めたまま旅立っていきました。
2003.1.22 「まぐまぐ」より発行
私┃小┃説┃の┃元┃祖┃を┃読┃む┃ ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛ ── amazon.co.jp
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蒲団・一兵卒(文庫) 当時の時代背景を考えれば「なんとハレンチな!!」ということなの でしょうが、今読めば悲哀に満ちた・・やや満ちすぎた美しい物語。 主人公が泣くのは「一兵卒」も またしかり。ですね。 |