偉人に学ぶ─ダメ人間の美学
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島崎 藤村(1872〜1943)
┗長野県生まれ。本名、島崎 春樹。詩人、小説家。
 浪漫精神を盛った詩作で近代詩の地位を確立後、散文・小説に転向。
 明治・大正・昭和を生きた文学者、自然主義文学の先駆者として名を残す。
 「若葉集」「破戒」「春」「新生」などが有名。

明治生まれのこの巨匠、その家柄はもともと本陣・庄屋・問屋を兼ねる名家
でありましたが、明治維新により没落の一途をたどります。
しかし『息子達には近代的な勉学を!』と強く願った父の計らいにより、
親戚や知人の家に世話になりつつも、勉学に励むことができました。

卒業後、いざ文学の道へ!と決意を固めた巨匠でしたが、生活が苦しかった
ため、まずは国語教師の職に得ます。・・が、3ヶ月で辞職。
辞職の理由は“恋”。教え子に惚れちゃったのはいいのですが、彼女には
既に決められた婚約者がおりました。時代は明治。あふれる恋心に困った
巨匠は退職後、放浪の旅へ・・。

関西から東北へと約8ヶ月もの間ウロウロした巨匠。東京に戻るとまた同じ
職場に復帰。しかし教え子への想いは募るばかり。そうこうするうち、
女学校を終え 婚約者と結婚した彼女は一年足らずで病死してしまいます。

想い人の死から立ち直れぬまま暗い日々を2年ほど過ごしておりましたが、
これではいかんと一念発起。生活の地を仙台に移します。ここで書き溜めた
詩作が大きな評価を得ました。評価は得れど、やはり詩人は金にならず・・。

失恋から立ち直り、結婚も果たした巨匠は、詩作から散文、散文から小説へと
創作のジャンルを広げつつ、3人の子の父となりました。

そして34歳の誕生日、部落差別を題材に扱った大作「破戒」を自費出版する
ことにより、小説家としてゆるぎない地位を確立します。しかし、成功の影に
あったのは極貧生活。出版に向け家計を切り詰めすぎた結果、3人の娘を全て
失います。病死でした。

その後、妻は3人の男の子を出産しますが、4女出産直後に死亡。
下の子二人は知人に預け、上の子二人は巨匠が面倒を見ることになりました。
慣れない子育てを見かねた兄が自分の娘を使いに出します。巨匠から見て姪に
あたるわけですが、・・・これがまた深い仲に発展。そうこうするうち巨匠の
子を身ごもっていることが発覚します。当然ながら兄は激怒!

弱ってしまった巨匠がどうしたか。・・・・逃げます。何もかもほっぽらかして
単身フランスへ。どこからどう見てもこりゃ立派な現実逃避ですな。
しかしせっかく逃げたその先では戦争が本格化。仕方がないのでこっそり帰国。
・・で性懲りもなく、またもや姪と戯れると・・・。

そしてまたもや、これではいかん!と一念発起。
この関係を清算する。という大義名分のもと、姪との関係、兄との関係。
その全てを「新生」という私小説に書き上げます。
怒る怒る!兄怒る!そりゃごもっともの絶縁宣言。姪もとうとう愛想を
つかして巨匠の元を去りました。

これに懲りたかどうだったか・・・。
その後24歳年下の女性と再婚してからは大きな女性問題もおこさず、
72歳で最期を迎えるその時まで、精力的な文学活動に励みましたとさ。

2003.1.29 「まぐまぐ」より発行


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破戒(文庫)
部落出身者である主人公の憂いと苦悩。話の流れも山あり谷ありで、
ガツンと一気に読めちゃいます。おすすめ。



■今日の余談─島崎藤村をめぐる人々
└部落出身者であることをひた隠しにしなくては 生きていけない主人公の
 毎日から、父からの教えを破り秘密を公言した後の顛末までが、
 読み応えタップリに綴られた「破戒」。
 かの夏目漱石先生も
 「小説らしい小説にはとんとごぶさただが、この“破戒”は明治を代表する
 小説と言ってよかろう。」と、大絶賛。

 そうかと思えば、私小説としてスキャンダラスな姪との関係、その胸の内を
 赤裸々に綴った「新生」の方は、若き日の芥川竜之介が「この主人公ほど
 偽善者ぶったいやらしいおじぃはいない!」と憤慨したそうな。

 こちらも私小説の先駆者、田山花袋と仲が良かったのは前回お伝えした通り。
 臨終の田山花袋に「死にゆく気分はどうかね?」と真顔で問うた島崎藤村。
 彼の最期の言葉は、「涼しい風だね」だったそうです。
 

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桜の実の熟する時(文庫)
教え子との実らぬ恋を描いた自伝的小説・・嗚呼!明治の恋。


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