牧師の息子として生を受け、良くも悪くも純粋にすくすくと育った巨匠。
16歳の頃より職を転々としますが、いつの日か父を見習い聖職につくのが
夢となりました。その夢を果たすべく、勉学に励む日々・・・。
けれども何度チャレンジしても巨匠に与えられるのは“仮”の資格ばかり。
しかし“仮”とはいえ、伝道師として熱心に活動を続ける巨匠。
貧しい農民を見れば手元の金品を惜しみなく与え、寒さに凍える民を見れば
自分の服を脱ぎさり、腹をすかせた子供を見れば自分の昼飯を与えてしまいます。
文字通り全てを与えてしまうその姿を見て、伝道師仲間は気味悪がりました。
資格が与えられないのも、施し方が尋常ではない=危険。との見解だったようです。
その後、27歳で絵描きになろうと決心した巨匠。伝道師の道は諦めましたが、
その気質が色あせたわけではありません。
ある日の街角。子連れでアル中の売春婦と知り合った巨匠は、彼女が性病に
かかっている上、子供を身ごもっているという事実を知るやいなや、たちまち同情の
色を表し彼女に求婚します。・・・が、さすがに周囲の猛反対を受けあえなく断念。
一年強の同棲生活のみにとどまり、別れを余儀なくされました。
その後も、売春婦という淫靡な響きに恋をしていたのかもしれません。
別離から五年。同居していた画家ともめた際、錯乱した巨匠は自分の耳を切り
落とします。そして、その耳を“贈り物”と称して入れた封筒の宛名には
やはり売春婦の名前が記してありました。
この一件から精神病院を転々とせざるを得なくなった巨匠でしたが、
どんな時でも支えてくれたのは、弟“テオ”でした。絵描きになると決めてからと
いうもの、画商でもあった4歳年下の彼は、巨匠の最大の理解者として陰になり
日向になり、兄の貧しい経済とエキセントリックな性格を支え続けてきたのです。
耳きり事件から二年後の1890年。巨匠37歳の時。
仲むつまじい兄弟に小さな争いが起こりました。兄弟げんかの中でつぶやかれたのは
弟の切実なる胸のうち。『うちも家計が苦しいんだ・・・。』
この一言にひどく狼狽した巨匠。
20日間悩んだあげくの答えは、自分の腹にピストルの弾を埋め込むことでした。
実行にうつすも急所を外したため、二日間悶え苦しむことになります。その間、臨終の
場にかけつけた弟に巨匠は言いました。
「泣かないでくれ、みんなのためを思ってしたことなんだ」
純粋なあまりの死。仕送りの負担を軽くするために選んだ死でした。
もちろん弟が喜ぶはずもなく・・・兄の死からわずか半年のうちに
精神に異常をきたした弟は追いかけるようにこの世を去りました。
兄弟が生きているうちに売れた巨匠の絵画は、たった一点。
しかも、その暮らし振りに見かねた友人が購入した一点きりでした。
2003.02.12 「まぐまぐ」より発行
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耳を切り取った男(単行本) 事件後の自画像が表紙絵です。天才はなぜ己の耳に刃物を当てたのか。 |