多趣味な父がいる家庭に生まれた巨匠は、この父からチェスの打ちかたを学び、
チェロの弾き方を学びます。多くの本を読み、多くの映画を観るようになった
のも、もちろん父の影響でした。
そして13歳の誕生日。父は1台のカメラを巨匠に贈ります。
瞬く間に夢中になり、学業そっちのけでカメラに没頭する巨匠。その後の成績は
落第ギリギリの低空飛行でしたが、写真の腕はメキメキ上達していきます。
17歳の時には写真を雑誌社に買い取られるほどに成長。夜間大学に通う傍ら
見習いカメラマンとして社会人のスタートを切ります。
20歳になった頃には映画監督として身を立てることを決め、とにもかくにも
毎日映画。平日5日間はもちろん、週末には遠出をして映画館のハシゴ。と
いう毎日を繰り返しています。生粋の完璧主義なのかもしれません。
短編映画の制作を始めれば買い手もつき、有望な新人として注目も集めるますが、
仕事の依頼はなし。路上の賭けチェスで食いつなぐ日々が続きました。
そんなある日、あるハリウッド映画の代行監督の依頼が来ます。
金のために。と、雇われ監督に徹しやっつけ仕事でこなしたその作品が皮肉にも
公開とともに大絶賛。当の巨匠は絶賛を喜ぶどころか、ハリウッドを大変嫌がる
ようになり、それ以降、制作の地をロンドンに移してしまいました。
ロンドンの地が性に合っていたのか、その後 発表した作品は今に名を残すもの
ばかり。「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「シャイニング」・・
どの作品にも巨匠独特の映像センスと問題提起が盛り込まれています。
名声の確立と平行して、人間嫌いも進行していく巨匠。ついでに言えばロケも嫌い。
ベトナム戦争が舞台の「フルメタル・ジャケット」は、ロケを嫌がる巨匠の一声で、
全編イギリスで撮影されました。完璧主義の巨匠が何度も何度も撮り直しを行う話は
有名ですが、同映画の日本語の字幕にもケチをつけ、著名な翻訳家、戸田奈津子氏を
クビにしてしまった話はあまり知られていないかもしれません。
人嫌いのため撮影以外は一歩も外に出ないという徹底した晩年を過ごした巨匠は
1999年、「アイズ・ワット・シャット」の完成目前にこの世を去りました。
死因も不明なら遺言も不明。死の真相は今だ謎に包まれたままです。
2003.02.26 「まぐまぐ」より発行
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