映画人生に片足を突っ込んだのは中学時代。
外国映画が流れてきたばかりの当時、禁止されていた映画館に通いつめ、
中学校卒業後は映画監督を目指して進学を希望・・・しましたが失敗して
しまったため、一年ほど代用教師として働きました。
授業そっちのけで冒険映画の話をしたり、アメリカ女優の名前を
ローマ字で書かせたり・・・。夢見る19歳の教師は生徒にも人気が
あったようです。
その後、カメラマン助手、助監督、監督と、一つずつ、そして着実に
夢を現実のものへと変えていく若き青年は監督当初から既に独自の
スタイルを持っていたそうです。
日常の中の悲哀という一つのテーマを軸に作品を撮り続けた巨匠。
作品の評価は時代によって、時に沈む事もありましたが、
「僕は豆腐屋だから豆腐しか作れない。」
と言い、決して世間の風潮に迎合することはありませんでした。
評価が高かろうが低かろうが自らの豆腐を追い求めた巨匠。
一度いいと思ったらソレばっかり。おいそれと変化は求めません。
カメラマンはこの人。役者はあの人。台本を書くのはここ。昼食はあの店。
公私共に、一度決めたらそれ一本の浮気ナシ。
しかも撮影は一日ワンシーンのみ。同じシーンを繰り返し繰り返し・・
はい75点。やり直し。はい60点。ダメだね。はい80点・・・。
口にするのは点数のみ。ダメの理由を述べることはありません。
皆が途方に暮れたころ、やっとOKを出すこともあれば、そのまま
次の日へ持ち越しにすることもあったようです。
さぞかし真面目な性格だと思いきや・・・割とそうでもない様子です。
相撲と野球に目のない巨匠は、ラジオから気に入りの力士の中継が
聞こえくると、すぐさま撮影中断。酒を片手に勝負の行方を案じます。
野球の方はといえば、スタッフにプロ顔負けの選手を何人も置き、
強豪チームと対戦させたがりました。
今日は○○が来る。ロケ地の△△にはえらく強いチームがいるらしい。
との声を聞けば、やっぱりすぐさま撮影中止。相手チームも巻き込み、
さぁ一戦。と始まります。スタッフや役者は急きょベンチで応援。
俺は仕事をしに来たんだ〜とか怒り出す人がいてもおかしくないと
思うのですが、そんなこともなかったようです。のどかなもんですね。
周囲に愛されつつも生涯独身で通した巨匠。
人生きっかり60年。まるで見計らったかのように60歳の誕生日を
迎えたその日にこの世を去りました。
2003.06.04 「まぐまぐ」より発行
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小津安二郎「東京物語」ほか(単行本) 「殺人綺談」などの初期のエッセイのほか、手紙や日記、資料などを公開 |