取り扱いに高い技術が必要とされる金箔をふんだんに用いて描かれた「接吻」
花畑の上で接吻を交わす二人は幸福の象徴です。しかしよくよく見ると
二人の立っている場所は崖ッぷちギリギリのところ。一歩間違えば奈落の底。
幸福と絶望は常に隣り合わせであるというメッセージが込められているのです。
こんな繊細な絵を描く人は、きっと物憂げで文学的な容貌に違いない。と、
すっかり思い込んでおりましたが、作者である巨匠のお姿を拝見してびっくり。
ひげもじゃでガッチリ。まるで山男のような風貌でございました。
貧乏なのに子沢山な夫婦のもとに生まれでた巨匠は7人兄弟の2番目。
美術学校時代には肖像画を描いては売りさばき、家計を助けました。
卒業後は弟、知人とともに「芸術家カンパニー」を立ち上げ、肖像画や
壁画を描き好評を得ます。写真かと見まごう綿密な画風。
職業としての絵画に徹していた巨匠でしたが、最愛の弟が若くして
亡くなると、カンパニーも解散。次第に表現としての絵画のために筆を
とるようになります。
裸体の女性や妊婦など、当時タブーとされていた題材を迷うことなく
描き始めた巨匠は しばらくの間 様々な非難を浴びることになりました。
しかし時は過ぎ人々は気づきます。これは賞賛に値する絵画だと・・。
人々の評価がどうであれ、ただひたすら一人の画家であった巨匠。
母親と二人の妹とともに暮らし、休憩の時間さえ惜しんで筆を運ぶ毎日。
絵を描く事。それ以外の事への興味は全くナシ。
自分の事にも興味がなければ、政治にも興味なし。第一次世界大戦にも
影響を受けることがなかった様子・・・。
では恋愛にも興味がなかったのかといえば・・・そこはちゃんと興味あり。
結婚こそしなかったものの、服飾デザイナーという職を持ち、
当時としては珍しい 自立する女であった20年来の恋人がおりました。
そう、接吻のモデルとなったのはこの女性と巨匠自身です。
幸福と隣り合わせる破滅を恐れ、結婚というゴールを避けたのかも
しれません。
日々変わらずつつましい毎日を過ごしていた巨匠。
56歳で脳卒中に倒れ、その一ヵ月後にはインフルエンザをこじらせます。
そのまま最期をむかえた巨匠は、当時オーストリア最大の画家として
葬られました。
「私は自画像を書いたことがない。私には何も特別な所は何もない。
来る日も、来る日も、朝から晩まで絵を描いている画家でしかない」
2003.07.23 「まぐまぐ」より発行
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Gustav Klimt: 1862-1918 (Basic Art)(洋書) たまには洋書の画集なんていかがでしょう。表紙はもちろん「接吻」です。 |