「作りかえのきかない過去なんかない」との言葉通り、ホラ吹き人生を貫いた巨匠。
わずか15歳で発表した短歌の題名は [母逝く]・・・、当時の母はもちろん健在。
その後も 放火を試みる母、無理心中を企てる母、身売りで生計を立てる母…と、
母大忙しですが、どうやら そういった事実はない様子。
私たち凡人の常として、自伝とは事実に基づくもの。と思い込んでしまいがちですが、
巨匠曰く「自叙伝なんかはいくらでも書き直し(消し直し)ができる。」とのこと
ですので、ウカツに何でも信じてはいけません。
そして、死の二年前にあたる昭和56年 寺山修司45歳。
路地裏のアパートに無断で立ち入ったとして、不法侵入の罪に問われます。
覗き魔、変態との報道もありました。
しかし覗きこんだ先は、一般的なおじいちゃんが住む、一般的なアパート。
「観客は立ち会いを許された覗き魔である」
没後十七年の今も我々に影響を与えつづける天才吟遊詩人、寺山修司。
彼にとっては、何の変哲もない日常こそが、最高に興味をそそる劇場であり
演目だったということでしょう。
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書を捨てよ 町に出よう 自由奔放に町へ出よ。寺山流ギャンブル学から自殺入門まで。 |
家出のすすめ─現代青春論 「悪徳のすすめ「反俗のすすめ「自立のすすめ・・・痛快青春論。 |
■今日の余談─私の周りのダメ人間達
└友人I。目が悪い。視力0,1以下。
まぁそれ自体は珍しいことではない。今の世の中、眼鏡もあればコンタクト
レンズもある。しかし友人Iはそれらをひたすら拒み、裸眼で歩き回る。
目の良い人にはピンと来ないだろうが、0,1以下の視力で街に出るのは、
かなりの冒険である。1m先の人物が 友人なのか他人なのか区別も
つかなければ、足元の階段がどこで終わるのかも分からない。
細々した看板なんぞ読めるはずもないので、ちょっと気を抜けば
三越のサービスカウンターで「三越はどこですか」と尋ねるハメになる。
なぜそんな不便な思いをしてまで、レンズを拒むのか。
その昔、コンタクトレンズの購入に出向いたIは、お試しレンズを目に入れ、
慣れるまで少し待つよう言われた。
その時である。たまたま目にした鏡の中には今まで見たこともないブサイクな
Iがいたそうで、ビックリ仰天したIは、そのまま購入を止め帰ってしまった。
名誉のために言うが、Iはブサイクではない。
ただ、自分の顔をハッキリ見たのがその時初めてだったのだ。
それ以後Iは裸眼生活を実行している。しかしIから見た世界がぼやけた
ところで、我々はしっかりIを見ているのだが…いいのだろうか。