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三船 敏郎(1920〜1997)
┗中国、山東省生まれ。
 俳優。数多くの黒澤作品に主演。ほか海外出演もあり。
 「七人の侍」「用心棒」「赤ひげ」などが有名。

写真屋の息子として、中国で生まれ育った巨匠。
成人後すぐに満州陸軍航空隊に入隊すると、写真部に配属されました。

熊本で終戦を迎え、職にあぶれた巨匠は撮影助手の職を得ようと
軍隊の知り合いをつてに撮影所を訪ねて履歴書を提出します。
この履歴書が何の手違いか、“東宝第一期ニューフェイス募集”に
迷い込んでしまっていたため、急きょ俳優の面接をを受けることになったのです。

渋々ながら足を運んだものの、
「男が顔を売るような商売はするもんじゃない」
という信念を持っていた巨匠は終始に渡って仏頂面。

それを面白がった女優が「すんごいのが来てるよ」と
黒沢明監督の袖を引っ張ります。誘われるまま面接会場を
のぞいた監督が目にしたのは、笑ってみて。と言う指示に対して、
「可笑しくもないのに笑えません」
なんぞと答えるふてぶてしくも強烈な個性を発する巨匠の姿でした。

これを逸材と見込んだ黒沢明監督は不採用の決定をくつがえすべく奮闘。
説得を重ね、補欠として採用させることに成功します。

丁度、役者不足であった東宝の事情もあり、新人ながら主役の座を
獲得した巨匠は、以後黒沢明監督の作品を軸として様々な作品に出演。
男くさいキャラクターと大胆な演技で群集を魅了していきます。

スクリーン上の豪傑さからは想像もつかないほど、
やさしく繊細かつ、くそ真面目な一面も持ち合わせていた巨匠。
どんなに忙しくとも付き人はつけず、一人で何でもこなしました。
自らの運転で撮影所に向かう事もしばしば。遅刻なんぞするようなことは
一度としてありません。台詞は全て、句読点に至るまで覚えてしまってから
現場に入るため、撮影所に台本を持ち込む必要すらなかったようです。

黒澤作品の出演は「赤ひげ」が最後となりましたが、海外作品の出演や
三船プロダクションの設立など、生涯渡って精力的に活動。

晩年、心筋梗塞で倒れると、それまで一緒に暮らしていた女性との
関係を精算し、ちゃっかり本妻の元に戻ります。その本妻にも先立たれ、
最期を迎えたのは病院のベットの上。

“世界のミフネ”の告別式は本人の遺志にもとづき、
身内の者によって、ひっそりと執り行われました。

2003.08.20 「まぐまぐ」より発行

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赤ひげ(DVD)
江戸時代末期、「赤ひげ」の異名をとる町医者がいた・・・。
黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作です。



■今日の余談─私の周りのダメ人間たち

└彫りの深い顔立ちに浅黒い肌・・・。

 東南アジア系の人物とすれ違う時、必ずや、
 “どこか懐かしげな眼差し”で、見つめられて
 しまうというYは、れっきとした日本人である。

 そんなYが、とある飲食店で働くこととなった。
 人見知りの激しいYは、新しい環境ではいつもひどく
 緊張してしまうらしい。
 だが、それも最初のうちだけだ。
 職場の雰囲気にも慣れ、気の合う仲間と軽口をたたく
 余裕も生まれてきた出勤三日目。

 雑談中のYを見て、同僚は驚き、そしてつぶやいた。

 「あ、日本語しゃべるんだ・・・」

 その一言が耳に入った時、Yは決意したという。
 「もう人見知りはすまい。初対面でも積極的に話しかけていこう」と・・・。


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